コメント削除は言論弾圧である
市民運動速報では取り上げる記事の性質上、コメント削除の是非の議論に出会うことが多い。また、ブログを運営している以上、コメントの削除の是非は避けて通れない道だ。今回はコメント削除はどういったものなのかを考えることにする。
ブログ主には「コメント欄管理権」があり、コメント欄の開閉はブログ主の裁量により行われる。コメント欄が開放されると閲覧者に「コメントを書き込む権利」が発生する。それにより書き込まれたコメントは、ブログ主の「コメント欄管理権」により削除することが可能だ。
ではコメントを削除する、コメント欄を閉める、といった行為はどういったことなのか。これは閲覧者に与えられていた「コメントを書き込む権利」を奪うことであり、それは言論弾圧であることは明白だ。
もちろんコメントの削除、閉鎖はブログ主に「コメント欄管理権」がある以上、自由に行うことが出来る。だがそれらの権利行使は責任を伴うのである。そのため、閲覧者から否定的に評価されることは甘んじて受けなければならない。
ならスパムコメントなどの削除はどうだろう。これも言論弾圧である。しかし、その言論弾圧が批判されることは少ない。なぜならば、閲覧者から見てもスパムのようなコメントは不要なものであり、それに対する削除は閲覧者からのコンセンサスを得られているからだ。
つまり言論弾圧を行ったとしても、閲覧者からのコンセンサスがあれば否定的な評価は免れることができるのである。そのため、ブログ主による言論弾圧の正当性のアピールは自由であり、それが閲覧者から認められれば批判・炎上など起こらない。
逆にコメント欄の炎上はブログ主への言論弾圧だという意見が見かけられる。だが、コメント欄が炎上しようが、トラックバックが批判エントリで埋め尽くされようが、ブログ主がエントリーを投稿する権利は失われないため、言論弾圧と呼ぶことは不可能である。ブログ主が言論弾圧されるという状態は、ブログサービス提供者がブログを削除することしかない。
最近、ブロガーが言論弾圧された事例として面白い例があがった。反米嫌日戦線がサービス提供側の北国tvによって更新停止処置を下されたのだ。これには多くのブロガーによる批判が巻き起こった。私見を言えば北国tvの措置にはあまり賛同できない。であるが、これの主題はそれではない。
面白いのは北国tvを批判する者の中に、コメンターへの言論弾圧の自由を主張する者が含まれていたことある。北国tvの利用規約にはブログページ削除の権利が明記されている。だがその者達は、コメンターへの言論弾圧の自由を主張するのに、ブログ主への言論弾圧は認めないと言う。これは明確なダブルスタンダードだ。
ブロガーがコメントを削除するのは自由であるし、ブログサービス提供者がブログを削除するのも自由だ。だが、それらによる批判が起こるのもまた自明であり、それによる評価の低下は覚悟しなければならない。
さて、このエントリで言いたいことをまとめよう。
- コメントの投稿は自由。コメントの削除・閉鎖も自由
- だがあらゆる権利行使には責任が伴う
- 『言論弾圧』という主張は単なるネガティブキャンペーンに過ぎないことが多い
追記
言葉足らずな部分があったので追記します。「あらゆる権利行使」にはコメンターの投稿も含まれます。誤解を与えてしまった方、申し訳ない。