ウォッチャー自身がみたウォッチャーの姿

私はウォッチャーである。頻繁に2chのネットWatchi板を見るし、たまに書き込みもする。そんな現役ウォッチャーを自称する私から見てウォッチャーとは何なのか。 私なりに定義してみようと思う。

ウォッチャーとはその名のとおり観察者であり、Web上の痛い人を観察する者のことである。ウォッチャーは2chなどでヲチャーと呼ばれ、観察行為をヲチという。ウォッチャーの多くは2chのネットwatch板で活動しており、それぞれカテゴリに合ったスレで痛い人の情報交換や痛い人の行動を酒の肴にした雑談をする。

どうも外部の人間には、ウォッチャーは攻撃的なイメージがあるようである。しかし、本来ウォッチャーはヲチスレなど自分のテリトリー内でしか言及は行わず、相手の掲示板やブログのコメントに出てくることは稀だ。その理由は、第一にウォッチャーは観察対象のバカさ加減を見て楽しむことが目的であり、攻撃して閉鎖させることが目的ではないこと。第二に観察対象は粘着質な者も多く、ヘタに触ると逆にヲチスレを荒らされることもあるからだ。これはネットウォッチ板のローカルルールにて「ウォッチ先 さわらず荒らさず まったりと」と明文化され、ウォッチャーの最も重要な指標として掲げられている。

だが相手のテリトリーに突撃して挑発的な投稿を行う者がいることも否定できず、そのような者はウォッチャーからは突撃厨と呼ばれ忌み嫌われている。突撃厨の行動原理はウォッチャーのそれとは違い、「こんな厨は許せない」といったような私憤によって動いており、「自分の正しい主張」を押し付けようとする。そのような突撃厨は大抵頭がエキサイトしており語気が荒く、荒らしと変わらないようなものもある。ウォッチャーとしての域を超える行動をとる突撃厨は、ウォッチャーから見ても見逃せる存在でなく、痛い人としてウォッチされることが多い。

だからといってヲチスレ内ならば観察対象に対してどんな誹謗中傷もしていいというわけではない。ウォッチャーは冷静さと高い見識、公平な視点を持つことが必要とされる。なぜならばウォッチャーであっても、痛い発言を行う者は容赦なく他のウォッチャーから批判されるからだ。私の常駐するスレにはこんな言葉がある。「深淵を覗く者は、深淵からも覗かれている」ウォッチャーもまた観察されているのだ。

言論とは常に他の誰かに見られているものであり、たとえネットwatch板が無くともウォッチャーはいなくならない。サイレントマジョリティは肯定者ではなく、ただ発言しないだけ。声は無くとも痛い者は痛いと見られている。観察対象と距離を置こうと考えるウォッチャーは、ある意味サイレントマジョリティに近い存在のようにも思える。だがウォッチャーはサイレントマジョリティではなく、言論を行使する存在だ。ウォッチャーもまた見られているということを意識し、発言に気をつけなければならない。